頃は元禄十五年

「義」は、昔から格言や歌に表現されてきた。
たとえば、「義を見てせざるは勇なきなり」(論語:孔子)
「・・・義理がすたればこの世は闇だ・・・」(歌手:村田英男、作曲:古賀政男)

日本の武士は義を大切にしてきた。
「忠義」の代表といえば、『忠臣蔵』の赤穂浪士四十七人。
その忠義を貫いた一人の男、矢頭 右衛門七(やとう えもしち)。
矢頭右衛門七は大石主税(おおいし ちから)と同じ、まだ十代だった。
なんと、右衛門七の母(るい)が、群馬県前橋市(大蓮寺)に眠っているという。
前橋文学館では12月12日~24日まで、「錦絵が語る忠臣蔵と矢頭右衛門七」が公開されている。

ところで、12月14日は、討ち入りの日。
東京泉岳寺の「義士祭」は、多くの人でにぎわっていた。
参道を歩いていると、「えっ!!」。

目に入ったのは、「切腹もなか」。

もなかの真ん中が裂かれ、そこからあんこが飛び出している。
思わず立ち止まってしまった。

この発想に驚きと時の流れを感じてしまう。

「切腹もなか
   見て食べざるは勇なきなりか」